8.04.2015

Yellow tomatoes-1

わたしがさし絵を描いた絵本、宮澤賢治の『黄いろのトマト』が出版されたのは、2013年の秋です。
ミキハウスの宮澤賢治の絵本シリーズの一冊です。

「このシリーズの一冊を手がけませんか?」、と編集者さんから依頼がきたときは、顔があつくなるくらい興奮しました。賢治の世界を絵本にすることは、絵本を作る画家なら、かならず夢みることだではないでしょうか。わたしもその一人でした。

そして、話がすすみ、はじめにしたことは、編集者の方が、わたしのために選んでくれたいくつかのお話の中から、描きたいものをひとつ選ぶ、という作業でした。

その中には、わたしが小学三年生のときに、クラス担任の先生が、何回かに分けてガリ版で刷って、読ませてくれたお話もありました。主人公の名前が風変わりだったこと。結末が残酷で正直とてもこわかったこと。わら半紙に紺色のインクで刷られた手書きの文字。木造校舎の床板、階段・・・。そのお話を読むと、あの時代の、湿り気、薄暗さ、でも奥行きの感じられる雰囲気をおもいだしてしまいます。ただ、そのお話は、文章量がかなり多くて、絵本にまとめるのはむずかしそうだったから、却下しました。
その他、登場するどうぶつに心ひかれるお話もありましたが、場面展開がむずかしそうだ、とか、盛り上がりに欠けるかも、とか、わたしにはこれを絵本にはできないな、と諦めました。

そして、最終的に選んだのが『黄いろのトマト』でした。
その理由のひとつが、中にでてくるサーカスのパレードやテント。もうひとつが、トマトでした。

サーカスの場面は、主人公のペムペルとネリの目をとおして見えている、現実と幻想がからみあった不思議な雰囲気を絵にすることが、たいせつだと思いました。その中で、思い切った解釈もできると思いました。

そして、トマト。 
スロバキア生活の中で、わが家では、毎年夏にトマトを育てていました。そして、育てる中でわたしは、トマトのしぶとさや、野性味を知ることになります。
庭のトマトの絵を描きたい。そう強く思いました。

この二点から、わたしは『黄いろのトマト』を選びました。
正直に書くと、選びながらも、このお話の救いようのない結末に、「この絵本、売れないだろうなー」と思ったものでした。
 
トマトの魅力について、次回につづきを書きますね。