出張でブラチスラヴァに来た義妹が、わが家に一泊していきました。彼女の住んでいる街からブラチスラヴァまで, 車で約4時間かかります。
その車につんできたのが、上の写真。ミルク缶とでも言うのでしょうか、25リットル入るフタつきの大きな入れ物です。彼女は、道の途中で、この缶に入っていたハチミツを、業者に売ってきたのです。
その車につんできたのが、上の写真。ミルク缶とでも言うのでしょうか、25リットル入るフタつきの大きな入れ物です。彼女は、道の途中で、この缶に入っていたハチミツを、業者に売ってきたのです。
ハチミツは、養蜂をしている義母があつめたものです。義母は、年金生活者。養蜂は、趣味です。趣味と書くと、ちょっと誤解されてしまうかもしれません。
スロバキアでは、社会主義時代(当時は、チェコスロバキア)、国が養蜂を奨励していました。国のあちこちで、義母のような個人が、ちいさな単位で、副業の養蜂をしていました。集まったハチミツは、国が買い上げてくれるので、庶民にとって、ささやかではありますが、堅実な現金収入になっていました。
なぜ、国がこのような制度をつくったのでしょうか。なぜなら、ミツバチの活動は、作物の収穫にかかせないものだと、国がその価値をみとめていたからです。
ところが、社会主義が崩壊すると、国はこの制度を廃止してしまいました。
ところが、社会主義が崩壊すると、国はこの制度を廃止してしまいました。
資本主義社会では、ミツバチ制度なんて牧歌的なことをやっていたら、自由競争に負けてしまう、とでも判断したのでしょうか。
そして、資本主義になり、スロバキアの農業は、衰退し、お店では、外国産のハチミツが売られるようになります。ちかごろでは、安値競争の果てに、ハチミツとは名ばかりの、ハチミツ色のどろっとした砂糖水が、ハチミツ風甘味料として売られていたりして、ギョッとします。
そして、資本主義になり、スロバキアの農業は、衰退し、お店では、外国産のハチミツが売られるようになります。ちかごろでは、安値競争の果てに、ハチミツとは名ばかりの、ハチミツ色のどろっとした砂糖水が、ハチミツ風甘味料として売られていたりして、ギョッとします。
個人で、副業に養蜂をやっていた人たちの大部分は、お金にならない養蜂を止めてしまいました。
でも、義母は、止めなかったのです。
なぜなら、ミツバチが好きだったからです。
そして、ミツバチがいなければ、植物の実が生らない。これは、人間が生きていく上で、忘れてはいけないものだと、信じていたからです。
そして、ミツバチがいなければ、植物の実が生らない。これは、人間が生きていく上で、忘れてはいけないものだと、信じていたからです。
お金にならなくても、集まったハチミツは、自分の子どもたちや孫、そして知人にあげられます。続けていれば、すこしは売ることもできるし、特にプロポリスは、現金収入になりました。
ミツバチの巣箱一個から、約30kgのハチミツが取れるそうです。義母の去年の収穫は、900kgでした。 今年はじめて、義母は、ハチミツをハチミツ酒を製造する業者へ売ってみることにしました。それで、義姉が、ハチミツ運搬のお手伝いをしたわけです。
ミルク缶1本、25リットルのハチミツは、35kgです。それを3本、お試し販売しました。1kg、3.5ユーロで売ったそうです。原料としてのハチミツは、高い値段では売れません。
義母のハチミツは、正真正銘、ピュアーなハチミツです。
わが家でラベルを作って、売り出そうか・・・・・・と夫と話し合っています。