7.15.2015

Real words

 
 © Nana Furiya

 
昨日観たインターネット配信のビデオで、わたしは偶然、ふたりの巨匠の涙を見ることになりました。涙を見たというのは、適切な表現ではないかもしれません。おふたりともが、発言中に、涙により、言葉を詰まらせてしまったのです。

その巨匠とは、おひとりは、スタジオジブリの宮崎駿さん。もうひとりは、マラソンメダリストの有森裕子さんです。

私が視聴したビデオの一本は、7月6日に東京で行われた、新国立競技場建設問題に関する講演会(「神宮外苑と国立競技場を未来に手わたす会」主催)でした。メインの講演がおわった後に、主催者から、聴講者のひとりとして会場に来ていた有森さんに、アストリートの立場からとしての発言が求められました。
その発言中、有森さんは涙で声がつまり、数秒、沈黙してしまいました。そして、声をしぼり最後の言葉を出し切り、発言を終え、着席されました。その言葉は次のものです。
「オリンピックが、みなさんの負の要素のきっかけに思われるようなことは、全アストリートの代表ではありませんが、みなさんに全力で応援していただいた経験を持つ一人のアストリートとして、本望ではありません。」

新国立競技場は、あの地域一体の再開発利権や「見栄」という私利私欲にうごかされ、建設費が巨額にふくらんでいます。この建設に対し、専門家やおおくの都民や国民が疑問や不安を抱き、建設案見直しを求める声が上がっているのにもかかわらず、無視され、ばく進している現状です。
有森さんのこの悲痛な言葉も、私利私欲にとりつかれた人たちの耳には、まったく届かないのでしょうか。


もう一本のビデオは、7月13日、東京外国特派員協会の記者たちを、「スタジオジブリ」に招いておこなわれた、宮崎駿さんの会見です。
沖縄のある大事な友人との思い出について語っているときに、涙で声がふるえてしまいました。
「・・・・・・このときの話を思い出すと・・・沖縄の人に、ものすごく申し訳ないとおもっている。」
会見のビデオ視聴はこちら→https://www.youtube.com/watch?v=F_z8FaBU7x0

この会見の中で、宮崎さんはご自分の言葉で、とても印象的なフレーズをいくつも語られています。その中で、わたしにとって最も印象にのこったフレーズは、以下の部分です。
宮崎さんは、ペンで線を描く時には、イギリスの紙「BBケント」を愛用されているそうです。「ぼくにとって、宝物のような」と仰っているほど、長年愛用されてきたその「BBケント」。それが、去年、いつものように、ペンにインクをつけて線を描いたところ、はじめて、滲んでしまった。
「紙が、この1~2年で、急速に悪くなりました。」

そして、宮崎さんは、こう仰いました。

「なにか、世界はもっと根元のほうで、みしみしと悪くなっているようです。」


今日7月15日、日本の衆院・特別委員会で「安保法案」が強行採決されました。16日の本会議でも可決されるようです。
特別委員会で、野党議員からの質問に答える安倍首相の言葉は、まったく答えになっていませんでした。まるで言葉をもてあそんでいるように、ペラペラと扱い、追い詰められると、前政権だった民主党のせいにして非難します。ほとんどの憲法学者の「違憲」という指摘。多くの国民の「よくわからない」という指摘。その言葉に耳をかたむけることなく、ぺらぺらと持論をくりかえし、ウソやごまかしの言葉を平気で垂れ流すだけ。こんな言葉は、聞くに値しません。言葉への冒涜だと思います。

宮崎さんや有森さんは、心の底からご自分の言葉をすくい出すようにして、口にだす。絞り出す。
それが、ほんとうに言葉だと思うのです。

なのに、ほんとうの言葉は,届くべき人の耳に、届かない。