8.29.2015

"FROM HOPE 2"exhibition has ended

© Nana Furiya

札幌のkita:karaギャラリーで開かれていた、「FROM HOPE 2」展が、盛況のうちに8月28日無事終了いたしました。
ギャラリーに足をお運びくださったみなさま、どうもありがとうございました。 
わたしの出品した「祈り」のきつねも、嫁ぎ先が決まったようでうれしいです。

そして、これはオフレコ情報ですが、オープニングの日に出席されたあべ弘士さんが「この展覧会、10年つづけよう!」とおっしゃったそうです。
つづいていけたら、いいな!
応援どうぞよろしくお願いいたします。


 


8.23.2015

Wapper


わたしがさし絵を描いた紙芝居が、ドイツで翻訳出版されました。
ドイツで紙芝居が上演されるなんて、ちょっと不思議な気持ちです。


これが、童心社から出版されている日本語版です。。
バッパーとは、ベルギーのアントワープに伝わる魔物のことです。オランダ語翻訳家の野坂悦子さんが、そのバッパー伝説をもとに、子どもたちが親しめるお話を作りました。

この紙芝居を制作するにあたって、野坂さんと私は、アントワープへバッパーの取材に行きました。2010年のことです。その時の取材についての写真つきエッセイがあるので、ぜひ、読んでください。
JPIC(出版文化産業振興財団)のHPに連載されていた「降矢ななのスロヴァキア通信」の記事のひとつです。この通信、わたしがなまけ者のため、連載が尻切れトンボになってしまいましたが、過去の連載は、今でも開いて読むことができます。

「JPIC・降矢ななのスロヴァキア通信」→ http://www.jpic.or.jp/konohon/furiya/list.html
 第16,17回の「ランゲ・バッパー・マジック」前・後編 です。


バッパー取材は、2010年のこと・・・・・・2011年の震災前のことだったのだと、感慨深いです。
あの頃のわたしは、震災後に世界がこんな風になっていくとは思わず、日々暮らしていました。あの頃に、戻れるものなら戻りたい・・・・・・・・・・・・・。





8.22.2015

Yellow tomatoes-3


月曜日の夕方から翌日の明け方にかけて、はげしい雨がふりました。風も強く、北側の窓に雨粒がぶつかり、風の唸り声が聞こえていました。
写真は、雨がやんだ早朝の空です。ハルとぬかるんだ道を歩きながら、カラカラに黄色く干上がっていた雑草のなぎたおされた野原や、山がから霞がのぼっている風景をながめました。草木が生き返っていました。すこし湿った冷たい空気のおいしいこと! 

しかし喜んでばかりもいられませんでした。
畑では、トマトが実割れをはじめていました。


くやしいことに、まだ青い実にまで亀裂がはいっています。

雨がふらなくて、ふらなくて、毎日たっぷり水やりをして、トマトの実が日に日にふくらんでくるのを見つめていました。実がりっぱにふくらんで、さぁ、これからは暑い太陽に照らされて、甘くなるんだぞ、と、期待していたら、このありさまです。
もちろん、すべてのトマトが、実割れしたわけではありません。一部実割れしていても、熟すまでそのままにしていても良い実もあります。
だけど、こういう時、わたしは、自分が専業農家ではなくてよかったと、しみじみ思うのです。

宮澤賢治の『グスコーブドリの伝記』では、冷害による飢饉のようすが描かれています。作物が実らなければ、人々はすぐにその年の秋から食べることができなくなります。精神を病んでしまう人々。貧しさから犯罪もはびこるようになります。
我が家のトマトが、ぜんぶ病気でだめになっても、わたしたち家族は、それでもう明日からの食料にこまるわけではありません。トマトもキュウリも洋なしも、趣味の園芸です。
ここに生活がかかっているとしたら・・・・と考えると、ぞっとします。

天候・気候だのみの農業とは、なんて過酷な仕事なのだろうと思います。農業を生業にされている人、おいしい野菜を育てられる人を、わたしは尊敬してしまいます。
しかも、食料は毎日の生活にとって、かかせない、大切なもの。農林業、畜産、漁業は、人間にとってもっとも大切な産業ではないでしょうか。
それでは、安定した食糧供給をめざし、たとえば、気温や光、ミツバチまで人工的に管理された屋内で水栽培されるトマト栽培は、農業の理想的な形なのでしょうか。

わたしは、食べ物を収穫・収獲する行為が、人工的な技術に近づきすぎては、危険だと思うのです。また、野菜がどうやって育ってきたのか、誰が育ててきたのか、まったく考えずに、見栄えがよいものを安く買うことばかり考えるような、消費者社会は、このまま地球をしゃぶりつくすと、怖くなります。食べ物を得ることは、自然と共存することだと、わたしたちはもっと自覚しなければなりません。

街のあちこちに、菜園地帯があり、住人ひとりひとりが、納税義務だけではなく、本業の合間に、農作業に関われる(関わる義務がある)、そういう社会にシステムが変わっていったら良いのに。だから、TPPなど、もってのほか、と思います。










8.21.2015

Yellow tomatoes-2


トマトのつづきです。
前々回に、次回はトマトの魅力について書きます・・・と宣言したものの、よくよくかんがえたら、トマトならではの魅力はこれだ!、と大声でアピールできるようなことは思いつきませんでした。わたしが、すき!と思う部分は、ほかの植物にだってあてはまるようなことかなぁ・・と思います。

でも、たとえば、このミニトマト。なんてチャーミングなのでしょう。ペンダントにしたいくらい。

トマトは、実が大きくなるように、育てている途中に「わき芽」摘みをします。一本の苗にたいして、何度も何度もです。気をつけて世話をしていても、気がつくと「わき芽」はあちこちから生えてきてしまうのです。その生命力の強さには、脱帽です。
そして、熱心に「わき芽」摘みをしていると、おのずと、トマトの世話って、トマトを至近距離で見ることになります。すると、トマトの形って、茎も葉っぱも、ちょっとこわいくらい野生的だと気がつきます。


ぎゅっと食い込んでいるトマトのヘタ。



トマトの若芽にびっしり生えたうぶ毛。
子ガッパのような青い実。


トマトの「わき芽」を摘むと、青臭いにおいがぷーんと漂ってきます。いいえ、摘まなくても、トマトの苗のそばに立つだけで、トマトのにおいは感じられます。
トマトを見ていると、ついつい南米の大地に育っていたトマトの原種へと想像が広がってしまうのは、そんなトマトのエグさのせいかもしれません。

この夏は雨がすくなく、毎日水やりをしながら、トマトの実がふくらみ、色づいてゆく姿をながめていました。水やりは大変ですが、太陽光にしっかり当たって甘くなれば、育て甲斐があるというもの。
この夏は期待できそうです。








8.20.2015

Wheat field

 
気がついたら、前回の更新からあっという間に、半月がすぎていました。
びっくりです。
何をしたというわけでもない時間があっという間にすぎた半月・・・・・。

猛暑のせいかもしれません。
記録的なカラカラ天気と猛暑が続いていました。このまま、ある時突然、木々の葉っぱがバラバラと散りはじめるのではないか・・・と不安になるような焼けつく日射でした。

8月半ば、東スロバキアにある夫の実家へ車でむかう途中の風景です。
照りつける日差しの中、2台のトラクターが麦刈りをしていました。
 
 
 
 


8.04.2015

Yellow tomatoes-1

わたしがさし絵を描いた絵本、宮澤賢治の『黄いろのトマト』が出版されたのは、2013年の秋です。
ミキハウスの宮澤賢治の絵本シリーズの一冊です。

「このシリーズの一冊を手がけませんか?」、と編集者さんから依頼がきたときは、顔があつくなるくらい興奮しました。賢治の世界を絵本にすることは、絵本を作る画家なら、かならず夢みることだではないでしょうか。わたしもその一人でした。

そして、話がすすみ、はじめにしたことは、編集者の方が、わたしのために選んでくれたいくつかのお話の中から、描きたいものをひとつ選ぶ、という作業でした。

その中には、わたしが小学三年生のときに、クラス担任の先生が、何回かに分けてガリ版で刷って、読ませてくれたお話もありました。主人公の名前が風変わりだったこと。結末が残酷で正直とてもこわかったこと。わら半紙に紺色のインクで刷られた手書きの文字。木造校舎の床板、階段・・・。そのお話を読むと、あの時代の、湿り気、薄暗さ、でも奥行きの感じられる雰囲気をおもいだしてしまいます。ただ、そのお話は、文章量がかなり多くて、絵本にまとめるのはむずかしそうだったから、却下しました。
その他、登場するどうぶつに心ひかれるお話もありましたが、場面展開がむずかしそうだ、とか、盛り上がりに欠けるかも、とか、わたしにはこれを絵本にはできないな、と諦めました。

そして、最終的に選んだのが『黄いろのトマト』でした。
その理由のひとつが、中にでてくるサーカスのパレードやテント。もうひとつが、トマトでした。

サーカスの場面は、主人公のペムペルとネリの目をとおして見えている、現実と幻想がからみあった不思議な雰囲気を絵にすることが、たいせつだと思いました。その中で、思い切った解釈もできると思いました。

そして、トマト。 
スロバキア生活の中で、わが家では、毎年夏にトマトを育てていました。そして、育てる中でわたしは、トマトのしぶとさや、野性味を知ることになります。
庭のトマトの絵を描きたい。そう強く思いました。

この二点から、わたしは『黄いろのトマト』を選びました。
正直に書くと、選びながらも、このお話の救いようのない結末に、「この絵本、売れないだろうなー」と思ったものでした。
 
トマトの魅力について、次回につづきを書きますね。






8.02.2015

Collaboration


洋ナシが、食べごろです。
2ヶ月前は、まだ青いちびちゃんだったあの子たちが、今はこんなにどっしり。
※以前、洋ナシについて書いた記事はこちら→http://nana-furiya.blogspot.sk/2015/06/pear.html



畑のあちこちに咲く、カボチャの花。


近づきます・・・・・・


花の中で動いているのは・・・・・・



2匹のミツバチ。
かなり長い時間、花の中でごそごそ働いています。体中に花粉をつけて。

朝、畑にでると、カボチャは花をおおきく開き、花から花へ飛び回るミツバチやマルハナバチの羽音がきこえてきます。キュウリもトマトも洋ナシも豆も・・・・彼らが授粉しなければ、実を結びません。

そのおかげで、わたしは甘いカボチャを食べることができるんだね。 


ありがとう。








8.01.2015

1st August


今日8月1日は、月がとても明るかったので、深夜1時にバルコニーへ出て、記念写真を撮りました。下に光の反射でみえるのは、わが家の温室です。

朝起きて朝食を食べた後、きのう友人からもらった野性のブルーベリー(スロバキア語ではチョチョリエトキ)4kgのうち、2kgでブルーベリー・ソースを作る準備。砂糖とまぜて、しばらく置いておき、あとで煮ます。こちらで普通に使われている砂糖は、てんさい糖です。
残りは、小分けして冷凍庫へ。


そして、午前中いっぱい、家族三人で畑仕事。
昼食は、畑でとれた、カボチャ、トマト、キュウリ、洋ナシ、をいただきました。

昼食後、ブルーベリーの鍋を火にかけ、まったりしていたら、ついついうたたね。
ハッと気づいて、あわてて台所へ走る・・・・・・・大丈夫でした。ほっ。
あくを取り除き、しばらく煮ます。

そして、次の絵を描く準備。
水張りした紙に、えのぐで下塗りをしました。
今月は、ここに絵を描いていきます。