1.19.2016

戦後71年。


ご報告おそくなりましたが、年のはじめに「鬼ヶ島通信・」が届きました。
わたしが初マンガを寄稿した、50+16号です。
今号の表紙は、みやこしあきこさんの西洋風なオニです。雄ヤギのようなりっぱな角がすてき。
表紙、扉、裏表紙の3枚でしゃれたショートストーリーになってます。
中には、佐藤さとるさんをはじめ児童文学のそうそうたる顔ぶれの作家さんたちが連載や短編を寄せていて、読み応えたっぷりです。「鬼の創作道場」という作品投稿の場もあります。

この雑誌には、毎号シンプルな「お題目」が出ます。これに縛られることなく自由なテーマで創作してもよいのですが、わたしは「お題目」にあわせて描きました。
今号は、「てん」。
「てん」と聞いて、なにを思い浮かべますか?
天空? 天丼? 展覧会?・・・・・・・・・はたまた、動物のテン?

10ページの短編マンガはこんな感じです。


お手に取ってご覧いただけたら幸いです。
「鬼ヶ島通信」のHPはこちらです。→ http://onigashima-press.com/

マンガという形でちゃんと印刷物として発表したのははじめての経験だったので、まだまだぎごちないです。でも、マンガは描いてみるといろいろ気が付くこともあり、おもしろかったので、次号にもまた寄稿させていただくことにしました。
このマンガへのご意見や感想をいただけたらうれしいです。

この雑誌の編集者Kさんが、雑誌といっしょに、やはりご自分が編集された本を一冊同封してくれました。


野上暁編の8人の児童文学者が語る現代史、です。
まだ全部を読み終えていないのですが、語られる思い出の中に、戦中、戦後の児童文学、雑誌、映画がたくさん出てきます。
この本の中で、わたしがいちばん最初に読んだのは、岩瀬成子さんの思い出でした。その理由は、岩瀬さんが戦後生まれだったからです。わたしは今、戦後70年の間に、ほんとうのところ何があったのか、・・・・・・とても知りたいのです。

岩瀬さんは敗戦から5年後、山口県でお生まれになりました。わたしより10年ほど年上なので語られるお話の内容は、わたしの体験とは違います。しかし、そこに出てくる文化や雰囲気は、小さかったころのわたしが、なんだかよくわからないけれど、自分のすぐ横に確かにあったと記憶しているものと同一でした。
「ほびっと」という名前の反戦喫茶は、わたしの母の口から何度も聞いていた「ほびっと村」と何か関係があるのでしょうか。当時のわたしには、その名前がトールキンの『ホビットの冒険』からきているなんて知る由もなく、ただその耳にきこえる「ほびっと」という言葉に、なにか特別のものを感じていました。
母親がとつぜん、アルコールランプを使うコーヒーのサイフォンを買ってきて、コーヒー牛乳やネスカフェとは一線を画して飲んでいたこと。わたしは、コーヒーは飲めなかったけれど、ぶくぶく泡立ちながら上の層へとのぼっていく水を見ながら、空気はあたためると膨らむことを学んだのです。
掲載写真にあった「ほびっと」のマッチの絵が、長新太さんであることは、おどろきでした。

わたしがまだ幼かった’60年代、隣町の立川には、立川米軍基地がありました(1977年、基地跡地は日本に全面返還。)当時は、まだ、白い着物をきて帽子をかぶった傷痍軍人さんが、デパートのわきの道にすわって物乞いをしてる姿に出会いました。子ども心にとても怖く、横目でちらちら見ながら前を通りすぎました。家には「のらくろ」のマンガ雑誌があり、何度もページをめくりましたが、初期のころののらくろが二等兵で失敗ばかりしていたものは読めても、階級があがり偉くなってからの部分は、我が家にはありませんでした。包み紙にアトムやウランちゃんのついた明治チョコレートの広告が裏表紙の「鉄腕アトム」の雑誌もありました。
そんなわたしの世代には、政治とかデモとか「反対」とかにアレルギーを感じ、無関心な人が多いです。こわいくらいに。

もう一冊、おすすめの本を紹介します。


サラエボでの戦時下に子ども時代をすごした人たちが、当時の一番強く残っている思い出を、SNSの短文に書き表したものが、集められています。
この本の中には、戦争のリアルが詰まっています。SNSに凝縮された「戦争の実態」は見かけは小粒ですが、とても重く、いちどにたくさん飲み込むことはできません。

最近は、「戦争」「平和」という言葉が、ねじまげられ、ゆがんだ姿で目の前に突き出されている気がして、わたしは呆然とします。




© Nana Furiya